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自省 2007/7/31 印刷用はこちら


自省

 9月の或朝、ラジオ番組の「私たちの言葉」で、次のような話が語られていた。
  それは祖父母の老夫婦と、孫に当たる八歳の女の子との3人暮しの家庭に起こった、ほゝえましいさゝやかなエピソードなのだが、祖母の誕生日にその孫が「今日はおばあちゃんは何もしないで、みんな私に任せてちょうだい」と言い、ひとり忙しく立
ち回っている。子供のことでもあり、どうすることかと案じていると、やがて「もういゝですよ」という案内。茶の間に入ってみると、祖母がいつもするように食卓に白いテーブルクロスをかけて、ビールやジュースや料理がならべられてある。孫がハッピーバースディの歌をうたい「おばあちゃん、おめでとう」と、リボンをかけた小さな箱をさし出す。プレゼントである。何かしらと開けてみると、中にはトランプ位の紙片が2枚入っていて、1枚にはお使い券、1枚にはあんま券と書いてある。
  そして「いつでもいたします」と添え書きがしてある。祖父と祖母は胸が一ぱいに
なって、しみじみと感謝をするのだった。
  話しというのはこれだけのことなのだが、祖母がそのよろこびを、この番組に投書せずにはいられなくなったその気持ちが、電波を通じて胸にしみいるのをおぼえたのである。
  私はこの話からいろいろのことを、改めて考えさせられる。先ず、この家の和やか
さを尊いと思う。何か宗教を信仰しているのであろうか。信仰していないとすれば、
なおさらのこと、その人柄のよさに頭が下る。
  この道の信心をしていても、何かと言えば家庭に波風のたちさわぐことが多い。信
心が未完成なのと、もう1つは、本当に信心によって助かろうという気がないからだ
ろう。そこを手もとの問題として、おかげをうけたいものと思う。
  次に昔から「おばあちゃん育ちは三百やすい」と言われる。まちがった祖母の愛情
が大切な孫の、人間形成の邪魔をするからだ。
  孫をめぐって、若い母と祖母との間に意見の対立を見ることも多い。ところで、こ
の家庭では、親がいないため、ふびんさが一層強く溺愛に陥りやすいはずなのに、何
と見事に自主性を身につけた、美しい情操の持ち主に育て上げていることか、孫のよ
さはそのまゝ祖父母の人柄のよさを反映していると言えよう。
  次には、物の観方の問題である。この女の子の感動してみる人もあろうし、年より
はませた子供らしくない子供と、眉をひそめる人があるかもしれぬ。その子に実際に
ふれてみなければ、どちらが正しいかともいえぬが、信心する者は、自分だけの憶測や、偏見、独断で物事を観て判断を誤り、人を傷つけ自分の首をしめるような、愚かなことはしたくないものだ。
  人の世には、鼻もちならぬうぬぼれ屋、正しい判断を好まぬへそ曲がり、はては権
利だけふり回して、義務はそっちのけの一人よがり、へいこらしながら、することは
人を喰ったいんぎんぶれい、悪いとわかりながら、すなおに頭を下げることの嫌いな
くそ勝気、秩序をわきまえぬ恥しらずがいつの時代にもいる。
  人事ではない。信心して神に喜ばれる人間になるには、先ず人の心に感動をあたえる現実生活がなければならぬ。
                                <昭和41年11月20日>

灯 巻頭言集Uより抜粋

 
 


 

 
             

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