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生きるメモ 2007/7/31 印刷用はこちら


生きるメモ

一、自分を大切にする
一、人を大切にする
一、道を大切にする

 私はこの3つを、生きるメモとして信心生活を進めることにつとめている。
         ◇◇
  生きるというのは、自分のことなのだから自分を抜きにしてはすべてがなりたゝぬ。
従って自分の生きることを粗末に扱うことになる。自分を大切にしなければいけない
としみじみ思う。しかし自分を大切にするというのは、利己主義とはちがう。自分の
都合のよいように、自分の立場だけを守るのが、自分を大切にすることだと、一般に
考えられやすいが、むしろその反対だといってよい。なぜかといえば、人間はとかく
本能的であり、我情我欲に流れやすいので、そんな自分を守ろうとすれば、生活は乱
れに乱れてしまう。
  人は神の子であるというのは、神の心を保有していることであるし、いいかえれば、
神のような人間になる義務を負っているということなのだ。神の心をもって生きるこ
とに、日々努めるが、自分を大切にすることだと悟れば信心生活は軌道にのってゆ
く。
         ◇◇
  人を大切にすることは、生きる上の心構えとして見落とされない。この場合人とは、
自分以外の他の人をさすのはいうまでもない。人間とは真にうがった表現である。人
は人と人との間で生きてゆく。親子・兄弟・師弟、朋友などの間柄から、民族とか人
類という立場でつながりをもち、このつながりを離れることはできはしない。従って、
人を大切にすることなしに、人間関係は整いはしない。他の人の助かり仕合せになる
ように祈りを行うことは、信心生活の重大な条件なのである。
  信心することと、信心生活とは1つでなければなるのに、分離していることが多い。
         ◇◇
  道とは歩んで通るところのもの。金光教祖の道といえばそれは金光教祖の人生行
路であり、金光教祖の生きられ方である。しかも金光教祖が「此方がおかげを受けた
ことを話にして聞かすのである」と言われるところからすれば、話は教えであり、教
えは金光教祖の救われた道を示すものである。
  自分の独断や得手勝手をおし通して生きることは、自己流の生き方であって教祖の道による生き方とはいわれぬ。信心生活をすすめるためには、教えを分かって教えに基く生き方を実践するのが何よりも大切である。
  道という言葉は、このように教えと同義語として扱われる場合と、教団という意味
で用いられる場合とがある。
  教祖の時代、神と教祖のつながりから取次による救いが開かれたが、教祖なきあとも教祖の道を伝える機構として、直信等によって教団が組織された。教団は道を伝える働きをするが、同時に教団の機能はまた信奉者によって左右される。信奉者が教団によって信心上の利便や恩恵をうける以上、教団の充実のために、力をつくす義務があるのはいうまでもない。道立(みちだて)という言葉がある。道の立ちゆくように
するの意である。道を大切にすることは、信心生活の重大なポイントである。
                            <昭和41年5月25日>



灯 巻頭言集Uより抜粋

 
 


 

 
             

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