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心の守 2007/4/2 印刷用はこちら

 最近読んで、感動を催したものは、ラルフ・ベンチの生涯であった。彼は、1950年ノーベル平和賞を受けている。国連の調停官として、パレスチナの紛争解決に成功し、世界の平和に貢献した功労によるものである。彼は現在、国連の事務次長の地位にあるが、ニューメキシコの名もない黒人理髪師の子と生まれて、13才にして両親に死別した薄幸の孤児であった。印刷屋の活字運びや、荷物運搬などの労仂の中から、中学、高校、大学まで卒え、政治学で大学教授の地位にも昇り、戦時中はアメリカ政府の要員として活躍をしたのである。
 無名薄幸の孤児を、今日の彼にのしあげさせたものは、何であったろうか。それは、ラルフ12才の時のこと、余命長からぬことをさとってか、母は、沈んで行く夕陽のもとで、美しい景色を眺めながら、こう言ったという「ねえ、ラルフや」母は息子の手をとって、「神様は私等を試されるのに、時々苦難や災難をお与えになるのだよ。しかしまた、それに対抗する武器として、希望と信仰と夢を与えて下さっています。私達はこの3つを忘れぬかぎり、どんな苦難や災難にもうちかって、仕合せになれるのですよ。ラルフや、どんなことがあってもこの3つを忘れぬようになさいよ。」翌年母は、永遠に還らぬ人となったが、母のこの時の言葉はラルフの胸に長く生きていて、その苦難の人生行路を切りひらく原動力となったのである。ラルフを今日あらしめたのは、母の訓誡であり、これをかたく守り続けた、ラルフの強い意志でもあった。
 教祖御在世のみぎり、近藤藤守師は、大阪から毎月、大谷の霊地に月参りをされたと聞いている。今日のように鉄道の便のない時代である。海路も陸路も、その旅の難儀であったことは、十分に想像される。この困難な旅を冒して、教祖の御許に参られたのは、その御教えを頂くことに無上のよろこびを感じられたからであった。今日の信者は、教祖の御教えを頂くことに、何の苦労もいらない。御教えの書をひもどけば、教祖の御声はいたるところに聞かしてもらえる。だが、その御教えの頂き方はどうだろうか。ラルフが、生涯心の守りとして、母の言葉を抱きつゞけたように、御教えのどの1つをでも真に守りつゞけているであろうか。
“祈りてみかげのあるものなきもわが心なり”という御教えがある。信心する上に、自分の心のあり方が、いかに大切であるかを考えなければなるまい。多くの場合、自分を問題にせずして、神様がおかげを下さることだけに目をつけやすい。拝みさえすれば、おかげを頂けるものと思い、おかげを受けとめる自分の心のあり方には、一向目を開かぬ。
 生活の中でも、他を責めることを知って、自分を省みない。社会制度の不満はせい一ぱいのべたてゝも、社会人としての自分のつとめには盲目である。これでは真の信心生活のできようはずはない。
 生神金光大神の信奉者たるものは、たゞ一条の御教えでも、本当にわからせてもらい、それを生命がけで守らせてもらうように、つとめる必要がある。自分の心の守りとする教えを見出すことは、信心成就の鍵といえよう。

<昭和30年7月10日>
灯 巻頭言集Tより抜粋

 

 
 

 
 
             

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