北の道分(1)

親教会である函館教会の布教満40年祭が奉仕されたのは、昭和6年の9月13日であった。

このご祭事には、二代島原教会長杉田恒次郎師を斎主に招請され、近隣教区の盛岡教会長で、今は故人となられた藤彦五郎師も参拝され、初代小樽教会長五十嵐孫太郎師をはじめ、手続門流諸師は信者を同道して走せ参じ、手続以外の先生方も参拝され、極めて自然に教区をあげての盛儀となった。

それは、初代矢代先生が北海布教開拓のことをなしとげられて、神上りなされてからようやく7年を経過したばかりで、初代先生のご神勤を、まのあたりに拝した人々を多数生存して居り、北海道布教開拓の意味が広く自然に理解されていたからだといえよう。当日の参拝者は800名を数え、祭典後の奉祝余興なども、盛大に極めたのは当時、門流の末席に列なる私は、まだ31才の青年教師で、布教5年目だった。これというご用も出来ぬので、せめてもと思い初代恩師を慕いたたえる琵琶歌を作詞し、在籍信者の富樫旭流によって、これを演奏奉納させていただきました。

歌詞の題名は、二代矢代先生が「北の道分」とつけて下さったが、これは初代恩師の霊号「子道知別大人(ねみちしりわけうし)」に、依られたものであった。

いま、それを表題に掲げて筆を進めるのは、一つには、この9月13日は、初代先生が蓬来町の借家にはじめて、ご神璽(しんじ)をおまつりなさって、布教をはじめられた記念日として、毎年記念祭が奉仕されて居ることを、改めて胸に刻まして頂き、手続教会である亀田の信者各位に、私と共に手続の道をあやまたず進んでもらいたい願いからである。

2つには、来年の9月13日は、布教80年祭が奉仕されることを心に刻んで、その記念祭と各位の信心との関連性を、正しくさとり善処してもらいたい願いに外ならない。

歳月は夢の間に流れ去って、初代先生を知る手続教師さえ、僅か数名になった現在では、北海道布教開拓の苦難に思いをはせる人は少なく、先人の遺した業績の上に安座して、ただ現実面にだけ目を注ぐ人が多い。勿論現実を無視することはできぬが、その根元をなすところのものを無視しては、正しい現実処理も不可能となるだろう。

結論を急ごう、北海布教は初代矢代師によって開拓されたのだ。北海道に息づく信奉者は、この事実を銘記して開拓者の労苦に感謝し報い奉る心で大同団結して、80年祭を迎える信念が必要である。感情や打算で、動向を誤ることは道への冒瀆となろう。

<昭和45年9月1日>