布教40年祭の意義

40年前の昭和2年10月5日矢代先生のお手続きをもって亀田村内1番地(現在の万代会館の隣接地)に亀田教会の前身である、金光教万年橋布教所が開設されました。

布教所はやがて正式に教会となり、昭和5年現在の場所に新築移転し、昭和5年現在の場所に昭和36年には改築が完成しました。これが亀田教会の沿革の概要であります。

それで亀田教会では、今秋、布教40年記念祭を奉仕させて頂くお年柄にあたっておりますことは教会にとっても、信者にとっても、大そう重要なことであります。

そこでなぜ重要なのかということを、この道の信心の上から考えて、自覚を深めさせてもらい、うるわしい40年祭を奉仕させて頂きたいと思うのであります。

先ず布教記念祭というのは、どういうことなのか。ここに1つの教会が設けられ、布教が始められたといたします。形の上ではその教会の先生が布教をなさるのでありますが、信心の上から申しますと、教祖広前がそこへ延長されたということでありまして、人を助ける金光大神取次の働きが、そこに始ったことなのです。

普通社会で何か商売をするのには、条件が整いさえすれば、どこでもいつでも開業できるわけであります。その商売はその人の商売であって、その人の自由でありますが、布教というのはそういうものではありません。ただ先生単独の立場で、先生が布教をするということではないのです。先生は金光大神の手代り(代理人)として、人を助ける御用にたたして頂くのであります。

従って布教記念祭というのは、先生が布教された年月を記念して行うものではなく、金光大神取次の道が、そこに開かれ難儀な氏子を助けようとなさる親神さまの悲願が、その教会の結界取次を通じて現れているという救いの根元を、現にその教会にご縁を頂いて助けられている信者の一人一人が、自分の信心の体験の中から、はっきりとさとってそのお礼の真心をまとめて奉仕するお祭りなのであります。何年何月に布教が始まり、それからもく何年になる、早いものだなどと感慨ふかくそのはじめをふり返るというような、個人的な感情に止まってはならぬのであります。

これをもっと平たくいえば、布教の年月を記念とするお祭りでなく、信者一人一人がその教会を通じて金光大神の道のおかげを頂いていることを、深くさとりお礼を申しあげるお祭りであります。これが布教記念祭の根本義であり、従ってそこには過去への感傷よりも将来への飛躍が約束されるわけであります。

次に、40年という年数のことですが、記念祭は、10年毎に盛大に行われ、その間5年毎に平年より心をこめて奉仕する慣例となっておりますが、どの教会でも40年祭は特に非常に大切に奉仕されております。

これはその教会の初代の先生が、一代の間に40年祭を奉仕することは、容易ならぬことというのが、第一の理由でありましょう。かりに先生が30才で布教に出られたとすれば、70才でなければ40年祭は奉仕できません。現代は平均寿命が延びて居りますが、それでも70才は、古稀という別名で現わされている通り、この年まで生きることは容易ならぬことであります。本教の初期の先生方は、普通の社会人として生活をしていられた方々が、ご神縁によってお取次のご用に立たれるようになられたので、相当の年輩でいられました。従ってその一生の間に40年祭を奉仕することは、稀といってもよかったようです。それで、初代の生涯に於いてその容易ならぬことが実現できることは、真に有難いことであると同時に、その先生が奉仕される最後の式年祭になることも、常識として予想されますので、信者の人びとも力を入れて、一世一代のお祭りとして奉仕させて頂こうという気構えになるのは、自然の成りゆきであります。こうして40年祭が大切なお祭りとして、一きわ盛大に仕えられて来ているのだといえましょう。

また一つには、世間で四という数を死に通じて縁起がわるいといい、四十は死重、つまり死が重なるとうけとって、忌みを恐れる傾向がありますが、このお道では一切の迷信をのりこした立場から、何事もよいようにとらして頂くという信念の立前です。従って四という数字も嫌いません。そんな意味で四十という年柄は、よいことが重なる年とうけとって特に祝うという面もあるといえましょう。

また一口に40年と申しますが、40年という年月は、生まれた赤ん坊が成長して社会の第一線で活躍するようになる、そういう長い期間であります。この長い年月に渉って教会のお結界取次を通じて、どれほど多くの人々が助けられることか、到底数えあげられぬほどでありましょう。数多くの人の中には助けられたまゝで、信心と離れたものもありましょうし、引続いて2代3代と信心のおかげを頂いている人もありましょう。

信心の姿は千差万別ですが、そこに輝いている神様の霊光を見逃してはなりません。

40年という教会の歴史の中に、輝いている限りないご神恩を感得させて頂くところに、おのずから盛りあがってくるものがあるのではないでしょうか。信者個人としては、入信して1年の人もあり、3年5年の人もありましょう。然し信者という立場は、その教会の歴史につながっての存在ですから、1年の人は1年分だけ感謝すればよいというものではんかう、40年の御神恩を感得することが必要です。

このように神様のおかげ、取次の道の働きの尊さはいうまでもありませんが、長い布教の歴史の上にのこされた人の働きを、また見逃すことはできません。なぜかと言えば、道を開くのは人の働きが主体だからです。といっても人だけの働きというものではなく、神さまのお働きをうけてのことですが、人が道を開き、道を立ちゆくように活動しなければ、神さま単独でその働きを現して下さることはできません。「氏子ありての神様ありての氏子あいよかきょで立ち行く」といわれる、神と人とのかヽわり合いがここにも見られるのであります。

どの教会でも、その布教の歴史の上には先生はもちろん、篤信の信者の人々が遺された道立の功績の足あとが刻まれているはずです。

信心する人が、御取次の働きによって神さまのおかげを頂いても、その人々に道のためにつくす働きがなければ、教会の存在も発展もあり得ないからです。このことを見逃すことなく、これらの方々の功績をむなしくせぬように、その働きをうけつぎご用にたたせて頂くことが、あとから進む者のつとめであり、これが将来にわたる金光大神取次の道の栄えとなることを、深くさとらぬばなりません。

更にお祭りに関連して、先生個人の立場に於ての思いとしては、不徳の身を多年に渉りご用にお使い頂いて有難い、という深い感激もありましょう。信者として、お取次下さる先生への限りない感謝の思いもあるでしょう。

このように、その教会で信心させて頂いている人たちの、信心の根本的な点への自覚を土台とし、さらに取次ぎ取次がれる者の間に生ずる、手続の自覚から生まれた先生と信者のうるわしい、心の通い合いをも含めての布教40年祭である以上、その教会に教縁を頂く者のすべてが、信心の限りを尽くして奉仕させて頂くべき筋合いであることは、当然でありましょう。

従って、40年祭を迎えさせて頂く具体的な心構えとして、

一、日々の生活の上で、信心を一歩でも進めるように工夫して、将来の展開を祈ること。

一、教会にご縁頂いた人々が、もれなく40年祭に参拝のお繰合わせを頂けるよう祈念

  し合うこと。

一、最小限度一人が一人をお導きして、神様の氏子救済の御心に、こたえまつること。

一、その教会の布教に関連する、先師先輩のご恩や功績に感謝すること。

一、報恩感謝の心を、具体的な分に応じて真心をもって、お祭りの上に現せて頂くこと。

などをあげることができるでしょう。この他に数えあげれば、いろいろのことがありましょうが、少なくとも以上のことを実現するようにつとめて、この教会の布教40年祭記念祭を、美しく奉仕させて頂きたいものです。

<昭和42年2月15日>